2012.2.16 木陰の物語第四巻発刊に寄せて

家族の練習問題4巻が発売になりました。
どうぞお買い求めください。
よろしくお願いします。

4巻のサブタイトルは「悲しみも、哀しみも」となりました。
文字通り「かなしい」お話が揃っています。
家族は、ふりかかる悲劇から逃れることはできません。
いくら望んでも、楽しいばかりの毎日は続きません。
生きることは、悲劇を受け入れることであり、
自らは「死」という形で家族に悲劇を振りまいて、
この世を去るのかもしれません。

しかし一方で、悲劇ばかりの毎日もありません。
悲劇ばかりの毎日を過ごす人は、
自らの意思で悲劇を続けているのです。
アウシュビッツの中でも、子どもたちは笑顔で鬼ごっこをしていたと言います。
自らがその悲劇とどう付き合うかで、
事実は変わらずとも、毎日の印象は変えることができます。

そろそろあの日から一年が経過します。
まだ多くの人が悲劇の渦中にいらっしゃるだろうと思います。
「早く立ち直って」と声をかけることが、
必ずしも正しいとも思いません。
悲劇から本当の意味で立ち直る唯一の方法は、
これ以上なく深くかなしみ、泣き続けることだとだと、
以前誰かに言われました。

僕はこれまでの人生で、これほどの深い悲劇に出会ったことがありません。
だから、どこか上滑りの発想なのかもしれません。
けれど、この世に「悲劇の中で生きていくこと」を強要される人は、
いてはいけないと思います。
誰もそんなことは望んでいないと思います。
今、自身が生きていることにはきっと意味があり、
その意味は「悲劇に寄り添うこと」だけでは決してない。

いつか必ず、楽しいと言える毎日を過ごすことにする、
そう決めるのも、自らの意思です。
「悲しみも、哀しみも」というサブタイトルに込めた想いは、希望です。
4巻が、ひとりでも多くの人の希望につながる道を、
照らしだすことを願っています。

2011.10.24 ホンブロック通信10月号前文

毎月会員さんに送っているホンブロック通信の前文コラムです。
今月のタイトルは「乙武さん」

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今月の通信は、まずは嬉しい報告からです。
「家族の練習問題4」の年明け1月発刊が決まりました。
発刊をきっかけに、次はどんな動きが出てくるか、楽しみでなりません。

その4巻にコラムを寄稿してくださるということで、
先日乙武洋匡さんに会いました。
「五体不満足」で一躍有名人になった乙武さんも、今や二児の父親です。
会った瞬間の印象は「強い!」。
強い人だろうなあと思いました。
「強くなった」という表現の方が正しいのかもしれません。我が子が奥さんのお腹に宿ったときの話から、乙武家の教育方針まで、色々と話しました。
中でも印象的だったのは
「15歳までに、してあげたいことは終えると妻と約束している」
という話でした。
「パラサイト」などと言われる中、
自分たちは決して子離れできない親にはなるまいと、
例え中学卒業時に息子が「父ちゃん、俺はバルセロナにサッカーにし行くぜ」と言ってきたとしても、
「いってらっしゃい頑張って!」と気持ちよく送り出せる親であろうと決めたと言いました。
多忙と、それが担保する豊かさが、
親の子離れを阻止してしまう側面を生む可能性があると考えられたのかもしれません。

親子の話をするときに、人はよく「どんな子どもになってほしい」という切り口で話します。
でも「こんな親になりたい」という切り口で、これを語ることもできます。
以前「子育てという言葉を、子育ちに日本中が改めたら教育環境に変化が起こるのではないか」
と言った友人がいました。
話す中で、そんなことも思い出しました。

好奇心のままに
「自分の父ちゃんに手足がないことを、子はどのように捉えているのか」
も聞きました。
そんな内容も、きっとコラムに含まれてくるのではないでしょうか。
年明け発売の第4巻に、乞うご期待です。

2011.10.14 利用者を保護者に

仲良くしている園長先生が、ツイッターに「今年の説明会は利用者意識を保護者意識に変えてもらうところから丁寧に話した」というようなことを書いていました。 それを見て改めて「そうだなあ~」と思いました。

僕も幼稚園や保育園を手伝う仕事をしているので、この時期になると友達から「なあ、団、ちょっといい?」「何?」「どこの幼稚園がいいん?」みたいな電話がかかってきます。そのノリは「いま新宿で飲んでるねんけど、次行くとおもしろい店、どっか知らん?」というのと、さほど変わりません。

確かに、中には目もあてられない幼稚園・保育園もあります。けれども、ほとんどは幼児教育に真っ向勝負しています。ただ、アプローチの方法が違うだけです。早期の英語教育も、はだし教育も、森の中で走り回るのも、馬に乗るのも、どれもが手段であって、その先に目指す理想像があるから取り組みます。となると、当然選ぶには「どんな風に育てたいか」「どんな風に育ってほしいか」という想いが必要です。なんとなくで構いませんが、やっぱり必要です。その視点が「保護者意識」ということだと僕は思います。

だから僕は「住んでいる住所はどうでもいいんだけれど、どんな風な子になってほしいとか、どんな幼稚園生活ができるといいなとかあるん?」と聞きます。すると大半が「元気でのびのび」と言います。

断言します。園児が「元気でのびのび」していない園はありません。 そもそも、子どもは「元気でのびのび」しているものなのです。「吠えない犬はいない(ほとんど)」のと一緒です。

となると僕のアドバイスとしては「一番近い園がいいんちゃう?」となります。近いから手に入るものがあるからです。例えば近隣園ならお父さんがたまに送り迎えに行くことができる可能性が高まります。あるいは、ご近所で同じ園に通う家族と知り合う可能性が高まります。行事も顔を出しやすくなります。それらが子どもに与える好影響は小さくありません。遠距離園に通うということは、その面では条件的に不利だと思うからです。

それでもはやり幼稚園や保育園は選ぶべきだと思うのは、みんな頑張っているけれど、それでも、すごい頑張っているところは凄い!ということを何度も見せつけられてきたからです。僕は決して近隣園を勧めるわけではありません。でもだから「どこがいいの?」ではなく、まずは親が、せっかく親になったんだから「保護者意識」を持とうとしてみることが大事だと思います。

と、そんなことを思いました。

ちなみに…、加えて書くと、学生も同じです。自分もそうだったと思うので、何も偉そうなことを言う気はないのですが、完全に利用者です。「学生も 学ぶ気なければ ただの人」と小林一茶は詠みませんでしたが、彼が生きていたら、そう詠みそうな環境です。それでも乗せて乗せて、学ぼうと思う気持ち作りからはじめないと、今の大学は立ち行きません(初年次教育というのはつまりそれです)。なぜそうなったのか、はたまた昔からそうだったのか? 原因探しをしても仕方がないのですが、なんとかそんな状況は改善した方が、環境として楽しそうだと思います。

もうひとつ。

最近「先生」という呼び方、呼ばれ方にも注意しています。僕も大学に行くと「先生」と呼ばれます。そのたびに「団さんと呼んで!」と懇願しています。なぜかというと、なんだか「いい気分」になるからです。このいい気分には根拠がありません。キャバクラに言って「社長~♪」と呼ばれるのは「多大な出費」が担保するいい気分だからいいのですが、職業選択の結果「先生」と呼ばれ、それがいい気分を招く。こんな危険なことはないのじゃないかと思うのです。

「先生」とは「先に生まれた人」です(語源は知りませんが)。学校は「先に生まれた人」が「学ぶ気がある人」に、何かをやらせたり、説明したりする場に過ぎないと思います。これは、近所の爺さんが、公園の子どもたちに紙芝居をするのと変わりません。ところが、ここにお金や権威が絡むので、どんどん複雑になり、「先生ってすごーい」みたいな気分が、世の中に生まれます。

「こどもけん」という次世代の園長候補との勉強会を隔月程度で開催しています。当然集まってくるのは僕と同年代、もしくは下の世代が多いです。その場で、僕は誰もを「さん」付けで呼んでいます。すると中には「不思議そう」な顔をする人がいます。「先生」という呼称に、身体が慣れてしまっているんでしょうね。でも「あなたは僕にとってどこが先生なんですか?」と聞けば、なんと答えが返ってくるでしょうか。自分が先生と呼びたい人を、先生と呼ぶ方が正しいと思うのです。

敬意を持つことと、呼称選択は必ずしも同じではありません。そして、呼称でその人を激励することもできるのではないか? そう考えて、周辺の保育業者が、新人教員にまで「先生」と呼んでいるのをしり目に「さん」付けを貫いています。実はこれ、結構ストレスなんですけれども。そういえば、以前、行政指導もあり「患者を患者様と呼ぶ」ことにした病院の患者たちが、突然偉そうになったというアホみたいな話がありました。ただの呼称、されど呼称。バカにはできません。

2011.8.22 ホンブロック通信vol.15前文

 ホンブロックとして何か支援ができないか? 震災後、個人的に参加したボランティア活動中も「ならではの支援」があるはずだと考えていました。そして9月11日、木陰の物語特別版を出版することで、その想いを形にすることにしました。ちょうど、あの日から半年後、それが9.11なのですね。

この本は、五篇の漫画エッセーと、著者である団士郎さんの文章で編まれています。一万冊作ります。そして無料で被災地の家族に届けます。著者前文の一節です。

「被災地にも、まだ始まったばかりの人生を歩み始めた子ども達がいます。復興に至る十年後、二十年後、今はまだ幼い彼等が社会の中心として、それぞれの場所で生きることになります。
その時、2011年を、辛く苦しい過去としてしか振り返ることができなかったら、残念すぎます。
家族はたくさんの思いがけない悲しみや苦しみも運んできます。しかし一方、家族を得ることが、こんなにも自分の人生を豊かにしてくれるのだと実感する人もたくさんいます。『木陰の物語は』はそんな家族への思いから、漫画家としての私が、十年以上描き続けてきた作品です」

制作の過程で「掲載すべきか否か」議論を重ねた一篇があります。「過去・現在」と名付けられたその話は、かつて家裏のガケ崩れで妻と幼子を亡くした主人が、残された子供のために生きるという話です。「今、この話を届けてどうなる?」「悲しみに寄り添う時期に尚早すぎる」「この話がメッセージそのものだ」「そもそもこの本の意味とは?」。

答えが出たわけではありません。そしてこの本が、どんな風に人の心に届くのか、コントロールすることもできません。でもきっと救われる人がいると信じて、届けたいと思います。最後になりましたが、この本の制作にあたっては、皆さまからいただいている会費を、その一部に充てさせていただきました。熱く御礼申し上げるとともに、今後も代わらぬご支援をお願いいたします。

2010.10.29 プロデューサーの存在価値について

過日このようなことがあった。

一方は私を通じて絵を買ったAさん。もう一方は、絵を売ったBさん。Aさんは自社の制作物に合わせて絵を描いてもらったのだが、あまりの出来栄えに、原画を買い取りたいという申し出になった。金銭合意に達し、絵の受け渡しが行われた。

ところが後日、この絵を別の社内スタッフ用の制作物にも使いたいとAさんは思った。もともと、原画を買い取った絵である。しかも、社内ツール用に少し使う程度だ。そう考えて、念のためとBさんに「使わせてもらいますね」という連絡を直接入れた。Aさんからするとあくまで「筋を通した」つもりなのだろう。

ところがBさんは合点がいかない。別のものに使うのであれば相応の対価を要求したいと返事をした。ここで話が明らかになり、私の耳にも詳細が入ってきた、という次第である。

このようなことが、才能を集めてプロデュースをする私、別の言い方をすれば、自分では何もできないから良くできる人を集めて目的の実現へ頑張るしかない私、の元には時々やってくる。

例えば買った絵がゴッホの「ひまわり」であれば、Aさんも自社の名刺にそれを刷り込もうとは思わないであろう。絵を買うというのは、一般的にはそれを個人の趣味の範囲で鑑賞して楽しむために買うものだからである。ところBさんはゴッホではない。ここに見解の相違が生まれる。もともとは自社制作物に使う用の絵を描いてもらったことがはじまりである。相手のリクエストに合わせて絵を商売として描くことは、一般的にはイラストレーターの仕事であり、成果物はイラストと見る。このイラストを原画ごと相応の額で買い取ったのだ。これが写真家であれば、この写真がどう使われようが、本人の名誉を傷つけるようなものでなければ、文句を言う筋合いはない。イラストもまたしかり、とAさんが考えるのも無理はない。

ところがBさんは自分の絵は「作品」であり「イラスト」ではない、という立場で仕事をされている。展覧会などで絵を買いたいという人には有り難く買い取ってもらうが、それでも、自分の手元に残したい作品は決して売ることはしない。どうしてもと言うから絵を売ったのに、それをそのような形で乱暴に使われるのは悲しくて仕方がない…とこういうわけである。

僕はこの言い分はそれぞれに正しいと思う。

もっとも、それほど自分の作品の用途に制限をかけようとするのであれば、原画を売るのではなく、用途を区切った無期限貸与にすれば良かったのではないかと、今となっては思うのだが、もはやそうもいかない。

一方で、Aさんの連絡も安易であったと僕は思う。それは連絡の結果「わざわざ連絡ありがとうございます。そのようなことまできちんとして頂いて、どうぞどうぞ使ってください」と言ってくれるであろう、という半ば自身の常識と思い込みのみを根拠とする希望的観測を持っていたであろうからだ。これは本人も否定しない。

さて。このボタンの掛け違いはどこから生まれたのであろう。AさんはBさんの才能を買っている。Aさんの個展にはマメに足を運び、絵を買っている。Bさんは、そのことには感謝をしているはずだ。Bさんも、そのような形で自分の絵が使われることに、当初は喜んでいた。ところが、一本の電話が、この先どうなるかはわからないが、後腐れを作ってしまう。そこには、相手の意見はわかるが、なかなか分かり合うことは難しいであろう上記の事情が込み入ってくる。

一致団結という言葉があるが、目的達成のための一致団結とは、決してすべての意見を共にすることではない。そんなことは不可能だ。目的のために障害になるかもしれない「部分」について団結を積み重ねる「部分団結の蓄積」で良いのだ。

プロデュースをするということは、ゴールに向けて部分団結する必要があるポイントを素早く見極めて、みなを元気な状態で船着き場に運ぶことであると僕は思う。

この話がこの先どんな展開を見せるのかはわからないが、どうしてもう少し上手くやれないものかな…というのが今の正直な感想である。

2010.6.9 お詫びの流儀

出張時のホテルはだいたい決めている僕。一応会員というものになっていて、色々と冊子や特典が送られてくるのだが、先般受け取ったホテルグランヴィア京都の冊子に一緒に入っていたお詫状がスゴイのでちょっとご紹介したい。

(以下原文ママ)
この度、当ホテル内のカフェレストラン「ル・タン」店内にて提供しておりました4月限定メニュー「春の行楽いろどり弁当」の「鶏すきやき」におきまして、「京地鶏」を使用と表記しておりましたが実際には「ブロイラー」を使用しておりました。また「とろとろ半熟卵を乗せた」という表示に対して「とろとろ半熟卵」を提供できておりませんでした。

この件を受けまして、ホテル全館において全てのメニューの表示について調査いたしましたところ、ロビーラウンジ「グランジュール」で提供しておりますミルフィーユについて、使用するりんごの品種を「紅玉」から「ふじ」に変更した際に表記の変更をしておりませんでした。またルームサービスにて提供しております「お茶づけ」について、表示とは異なるメーカーのお茶を使用しておりましたことが判明いたしました。
(以後、定番のお詫び文で〆)

別に紅玉でもふじでも半熟卵でもゆで卵でも抹茶でもお~いお茶でもいいのだけれど、これを受け取った多くの人は「この際一緒に謝っちゃおう。数が多ければひとつづつへの怒りも減るはず」という狙いを感じただろう。まさに「謝ったもん勝ち」の精神なのである。

2010.6.7 名簿整理から見えること

ここ数日、アソブロックのマル秘リストである幼稚園名簿の見直しをしている。この作業をしている中で、思っていた以上に幼稚園業界も再編が進んでいることを思い知った。数年前まで独立園だったのが、別の学校法人の系列になっていたり、廃園に追い込まれているケースも目につく。

認定こども園に移行しているケースも少なくない。「幼稚園の名を残す」と頑張る園長も多いが、ここ1~2年で「こども園を真剣に検討する時期に来ている」と語る園長がぐっと増えた。

未だに厚労省と文科省の綱引きは続いているようだけれど、官僚の利害調整を無視し、ある意味見切り発車ででも、こども園に挑戦しないと経営的に未来がないと考えるケースもあるのだろう。

認定こども園の申請をして、最後で蹴られたというケースを聞くこともある。これなどまさに行政側の意思統一のなさが招く時間とコストの無駄だと思う。

いずれにしても、その背景には「何が子育て支援なのか」へのビジョンがないことが挙げられる。結果、目先の点数取りに「待機児童ゼロ」ばかりが叫ばれる。「こどもといかに暮らす国になるか」ということへの最適解が「待機児童ゼロ×労働環境改善」ではない気もするのだが。

2010.5.28 【暮らしのお店】開店一カ月

名古屋の南、三河安城という地で「暮らしのお店」を初めて一か月が経った。はじめてみて「パン屋はスゴイ」ということを改めて思う。

「暮らしのお店」には雑貨店とレストランが同居している。一軒家にゲストを招きいれると、部屋ごとに違うお店がある、というのがコンセプトなので、入口も極めて玄関風である。開店直後は、OPENしているのにも関わらず、入口で引き上げていく人が多く困った。困ったが、それがコンセプトでもあるので、軌道修正もそこそこに留めてある。

何せスゴイのはパン屋だ。朝からお客さんが引きも切らない。レストランにはピークがあるが、パン屋は開店から閉店までピークが続く。細かい数字はさておき、売上も圧倒的である。

積み重ねられた知恵で、廃棄がほとんど出ないのもすごい。例えば夕方焼き上げたクロワッサンは、翌日アーモンドでコーティングして別の商品に生まれ変わる。そのような業界のレシピの積み重ねの結果、飲食店としては驚異の廃棄率の低さを担保している。

パンはランチにもなるし、おやつにもなる。ついつい買い過ぎてしまう。それほど腹もちしないので、買い過ぎても美味しく食べ切ってしまえる。おにぎりだと、そうは行かない。

大阪から招いた有名店だから、というのもあるが、遠く長野や山梨から買いに来ました、というお客さんもいる。

確かに働くシェフたちは大変だ。朝5時前に集合して仕込み開始。店は18時に閉店になるが、その後も21時頃まで仕込みは続く。それだけ売れるということは、開店中もずっとパンを焼き続けなければならない。彼らの控え室(事務所)をのぞくと、そこにはカップラーメンがいつも積み上げられている。それを見るたびに、わかるなあーと思う。

そんな色々なことを含めて、パン屋は凄いということを日々感じている。

2010.2.10 いまどきの就職活動。

キャリア教育方面の先生や実際の学生と話をしていて、最近ちょこちょこ見かける「今日的な日の丸就職システムを放棄する大学生について」の話がおもしろい。

まだわずかではあるが「就職活動は上海でやります」など場所を変える学生が出始めている。一昔前のようにワーホリで海外へというのではない。海外できちんと正社員の道を探すのだ。そのような新しい動きをするのは特に女子学生に多く、彼らいわく「結婚相手も日本で見つけるよりいい男と出会える可能性が高い」のだとか。経済発展地へは、各社ともエース級を送り込むので…という意味らしい。

派遣社員で「その日暮らし」だった若者がタイやインドネシアへ移住して、そこで安息を得るという話は、最近時々耳にするようになった。それはグローバル化なのか、国の弱体化なのか。

ただ、資源がない国が海外に道を見つけ自身の可能性を切り開いていくのと違って、安息の地を求めて日本を離れざるを得ない彼らには国を想う心は希薄であろうと思う。彼らには、やたらと先週のドキュメンタリーばかり放映して気分を煽るオリンピックはどう見えているのだろうか。

一方でフィリピンやインドネシアからの介護士受け入れ数は、国策であるにも関わらず希望者が目標人数に達しない国日本。どう考えても、国の人口管理システムにビジョンはない。

2010.1.8 春からは石橋先生

「いっしーにばっしー」という愛称で僕に親しまれている、団付きインターン・石橋が卒業の挨拶にやって来た。来春からは、静岡で小学校の図工の先生になるらしい。どう考えても見た目は就職できる感じゃなかったのだが、大変にめでたいことである。おめでとう!

思えば2年も僕のインターンをしたのは、彼女がたぶん初めてだ。続いたポイントは「ほとんど会わなかった」ことにある。2年前、フラリと応募してやって来た「いっしーにばっしー」は、マナーのかけらもない女子だった。面接的雑談の最後に「それで、私採用なんでっか」と聞いてきたので、そのあまりの衝撃に「もちろん採用させていただきます」と応えた僕は「人生は営業だ」という激励とともに、いきなり書店への飛び込み営業を命じた。

だいたい誰もそんなことはできない。しかし「いっしーにばっしー」は「はい、いってきまーす」と言って早々に二書店を新規開拓して帰って来た。 以来、学校が遠いこともあり、ほとんど顔を合わせることもなかったけれど、ともにKOSUGE1-16さんと飯を食べ、ともに幼稚園で体操服を売った。そして、徐々に丁寧語を体得し、その成果を見事教員採用という形にしたのであった。

そんな「いっしーにばっしー」も参加する卒展が1/16~24まで横浜であるそうです。暇で、時間があって、何もすることがなかったら、ぜひ見てあげてください。

http://www.sentan2010.com/

2010.1.8 教育結果を見せてください、って言われてもねえ

幼稚園の園長先生と「教育プログラムを購入する時代になったね」ということについて話をする中でオリジナルとは何だろうかということを思った。

僕はこれについてはこう考えている。「理想は描くが、結果が見えないことへのチャレンジは、失敗も成功も含めてオリジナル」。一方で「誰かのチャレンジの得られた結果を期待して行うチャレンジは非オリジナル」。だから、仮にどこかで誰かがすでにチャレンジしたことであっても、本人の動機次第でオリジナルか非オリジナルかは決まると思う。

「そのまま導入するんじゃないよ、カスタマイズしてうちらしいものに仕上げるから」というセリフもよく聞くけれど、これも僕からみるとオリジナルではなく、結果の純度をさらに上げるためのチャレンジでしかない。品悪く言うと「より儲けるには、この儲かる仕組みをどうカスタマイズしたらいいか」というのと同じだ。

どうしてこんなことが起こるのかと言うと「一日も早く結果を出せ」というムードに起因することは間違いないと思う。そして、何より問題なのは「最良の結果とはチャンスを与える側が想像できる範囲内である」 という、まことに過信と保身に満ちたムードである。特に、僕たち世代に蔓延している感じがする。

そんな形でチャレンジと行動の豊かさを制限しながら「あなたらしく生きてほしい」というのもどうなのよ、ということに気付いている人も一方ではいて、でもその数は大変少ない印象も受ける。

※今見返してみたら、おんなじことをこの間書いてました。よほど話題に出るんだろうなあ、この話

2009.12.30 矢野クンへ

年の瀬だなあと感じさせるこの日、僕はやはり働いていた。今日は薬師寺さん(デザイナー)と年明け提案のある大学の制作物について、ああだこうだとブレスト。そんな中で「やりたいことをやっていると思うから30日でも気にならないんですけど、これが仕事だと思っていたらやってられないでしょうね」と彼が言った。

「おおー確かに」と思う。僕はいつも、土・日は何を?と聞かれると「その分け方がよくわからないんです、別に日々やっていることを仕事だと強く思ってないですから」と答えるのだけれど、 これがなかなかすんなり会話として成立しないことも多い。

「やりたいことをやっている」と言えばいいのか。そうかそうか。

年が明けた4日から、アソブロックに一人の無謀な新人がまた入ってくるらしい。名を矢野クンという。南木のアシスタントをするそうなので、僕のアシスタントをするよりはまだ恵まれていると思うのだけれど、それでも一度会ってくださいと頼まれてあった時には、100万回以上「止めておいた方がいい」と忠告した。

その理由というのが、基本的にアソブロックは「仕事と思ったらやってられない」ことだらけだと思うからだ。 新卒で入社して奇跡的に今も元気で働いている高岡を除いては、今のアソブロックのメンバーは全員中途である。それも中途入社というよりは、中途合流という感じが正しい。意図したわけではなく、結果的にそうなった。そして高岡はよく、大学時代の友達から「高学歴低所得者」「その会社おかしいって」と言われるらしい。

これについて僕は高岡が高学歴である、ということ以外はもろ手を上げて賛成である。この文脈の中で出てくる働き手にとっての価値は「いかに効率的にたくさんの賃金を稼ぐか」であるからだ。それを実現するために「スキル」が必要だという論法だ。

だけど僕はあまりそうは思わなくて「自分の想いを成し遂げるにはスキルが必要で、その結果スキルが時代の要請に合うものであれば高賃金を手にするチャンスも出てくる」と考えている。例えば高スキルでも従事する業界が介護だと高賃金獲得は難しい。その経験を生かして、コンサルタント業になるか文筆業になるか経営者になるか、高賃金を狙うなら、スキルを土台にしたキャリアチェンジを迫られる。

だからスキルもくそもない若いうちは「がむしゃらに働き怒鳴られ耐える」しか生き抜く術はないのだ。「悔しかったらスキルを身につけて一軍に上がって来い」というわけである。

そんな論法は現在の就職や転職のシーンでは通用しにくいのも知っている。だから僕は心を込めて「入社しない方がいい」と訴え続けているのだ。矢野クン、キミはそのことをよく理解した上で、それでも入りたいと言って来たのだということを重々噛みしめて、どうぞ頑張ってください。

2009.12.18 「ちょっと太ったんちゃうの?」

年に二度ほど集まって食事をするメンバーがいる。僕自身も途中参加なので、初期メンバーではないのだが、ブリーフケースと名乗って集っている。ブリーフというのはトランクス・ブリーフのブリーフではなくて、今やその機能はなくなったが初期のWINDOWSにはブリーフケースという共有フォルダが初期セッティングでついていた。そこから引用し、お互いに知恵を共有して高め合っていこう、という高い志のもと、ついた名前である。

ということを今年初めて知った。 僕はてっきり同じパンツの仲間、という意味だと思っていたので多少驚いたのであるが、今やどちらかというとパンツの方が正しい感じがする。お互い35から40歳くらいになった。毎年来る度に体形が変わっていくものもいる。もちろん鍛えられたのではなく、崩れ去っていくのである。

「ちょっと太ったんちゃうの?」と森川さんがやってきた「ちっくん」こと筑紫くんに指摘をしている。言われたちっくんも、「森川さんも結構太ったね」と言い返す。その微笑ましい毎年の光景を、僕は「太り合い」と名付けて愛している。「褒め合い」「けなし合い」「太り合い」である。

不参加も数名いたので集まったのは6人であったが、みなで大いに話して大いに笑った。いよいよ忘年会ストリートまっさかりである。

2009.12.12 家族理解WS第20回開催

遂に20回目を迎えたWSだが、今日は会場選定にミスがあり、パーテションで仕切られた左右がとにかくうるさい。高額の参加費を払って来てくれている皆さんに申し訳ない気持になった。特にうるさかった方は大手ネットワークビジネスの事業説明会だったようで「一体こと人たちの共通点は何なのか?」といかがわしいこと100%だったけれども、よく考えるとあちらからすれば我々も同じようなもんだろうと思う。

終了後は、鶴谷園長、士郎さんと高岡がリザーブしてくれた鳥料理屋に移動して会食。いつものように、いろんな話をした。まず僕が、「福祉業界が持つ閉鎖性」と「緊張関係の苦手感がもたらすヨイショ」について口火。その後、タケノコのように色々出てくる幼稚園の教育プログラムの話になり、オリジナルとは何か?という話になった。

基本的に、何事も過去の何かのカスタマイズであると思う。自分の中で新しいと思って始めてみることも、誰かに言わせれば「何風(なにふう)」であったり「それ似たようなもの見たことある」であったりする。 そういう意味で言うと、オリジナルという言葉が「これまで誰も見たことがない」のだと定義すると、そのようなものはほとんど存在しないと言っていい。

ただ、我々が日常的に使っている「オリジナル」や「オリジナリティ」というものは、そのような意味ではないような気がする。

そこで話したのは「始めた本人がどうなるか分からない」と思って始めることがオリジナルなのではないかということだった。 例えば今多くの幼稚園で導入が進む横峰式プログラムも、始めた横峰さんは信念はあれど「このことがどうなるか」は分からない状況で始めたと思う。

ところがこれを見学して「カスタマイズ」をして使うと言う人は「そこで出ている効果」(集客効果も含めて)を期待してこれを始める。この両者には、見た目やっていることは同じでも、そこにある哲学が大きく違う。後者は乱暴に言うと教育ではない。経営効率化の一環である。リストラと違わない。「何がどうなるか分からないがとりあえずやってみる」行為のリストラである。

そのようなカスタマイズ型のプログラムに従事する子どもたちに伝わることは、元祖とは大きな違いがあるのではないかと思う。ただ、一方で二匹目のどじょうという言葉にあるように、成功の模倣はある程度の目先の効果はあげるのも事実である。

果たして教育とは何なのか。何を子どもたちに感じさせることが教育なのか。そんな話をしていると11時を超えてしまって急いで帰宅するのであった。

2009.12.11 そして千葉へ

愛媛から戻ったらすぐに千葉へ移動した。千葉大学で開催中の就職説明会に、うちの採用のパートナーである「東洋ビジネスエンジニアリング」さんが出展されているので、そのお手伝いである。

西千葉という駅は初めて降り立ったのであるが、完全に千葉大学の城下町であった。駅前から広大なキャンパスが広がる中、そしてシトシトと冷たい雨が降る中、会場に向かった。30ほどの企業が出展している説明会場には、まず人がほとんどいなかった。危機を察知して、すばやくパートナーのブースに駆けつけると、そこは「閑古鳥が鳴いている」見本のような状況であった。

これではいかんと、一緒に行った奥居とともに、前をうろつく学生にインタビューを始める。ITはいかがですか?と突然声をかけても不審がられるだけなので、なんとなく就職活動とか職業意識についての雑談をする。そうすると、当然であるがこの時期はまだフラフラなので、いろいろ言うけれど、要約すると「よくわかりません」という答えが返ってくる。当然である。

そこですばやく「今はせっかくの機会なので、広く色々と知るのが大事ですよ。ひとつITなんかも…」と繰り出すと2分後には椅子に座っていて一丁上がりである。

なんとなく詐欺化粧品の販売行為にも思えるが、しかしこの時期「決め込まず」に「色々と興味を持って知ろうとすること」が就職先を決めることよりも大切だと思っているので、後ろめたさは欠片もなく、次々と声をかけていく。 そして10分後には、4人が着席して真剣に話を聞くブースが出来上がった(4人とも誘えたのは奥居であって、おじさんになってしまった僕にはもはや勧誘は一大苦行であった)。

志望する企業の説明を聞いて回るのも大切だけれど、僕はそれよりも「一生懸命何かを伝えようと接してくれる担当者」がいるブースを回る方が、150倍意味があると思う。何にも知らない学生に甘い蜜を見せて志望動機を高めることなど簡単である。そして、その蜜を上手に捲いている企業もたくさんある。それが良いとか悪いとかではなく、そのことにピピンと反応できるくらいの知恵は、大学4年間で身につけてきておきたいものである。

終了後は船橋に移動して担当の福澤さんと奥居と三人で小さな慰労会。ふたりがそろそろ結婚するかもということで恋愛トークを皮切りに「常識とは何か」という話で大いに盛り上がって最後は福澤さんに「めんどくさい社長ですね~」と言われながら上機嫌で帰宅したのであった。

2009.12.10 羽ばたけ七福芋

昨晩から愛媛に来ている。新居浜で、もう随分と長くかかわっている「七福芋」という名産品を全国に向けて売り出していこうというプロジェクトの例会である。

今日はその七福芋を使った商品を「七福芋協議会認定商品」とするかどうかを審査する会があった。9つの商品がエントリーされていて、僕も正式な審査員ではないが、審査会に参加した。20個ほどの項目があり、味、デザイン、コンセプト、新規性など点数とコメントをつけていく。

ここで検討され審査を通った商品たちは、2月に東京ビックサイトで開催されるスーパーマーケット・トレードショーのブースでお披露目され、全国のバイヤーさんたちにプレゼンテーションができる。

それにしても七福芋というのは本当に美味い。何が美味いって焼き芋が一番で、今日もむしゃむしゃと二個も食べてしまった。

2009.12.8 いやはやの10年

着信メロディ「ポケメロ」の10周年記念パーティーがあるということで、誘われて渋谷まで行った。とはいえ、知り合いは少なく、僕も名刺を配って頭を下げて…というのも面倒なので、最前列の机を陣取って、ステージで繰り広げられる出し物を楽しんだ。思っていた以上にいいパーティーで、最後は「なんとか」というバンドが4曲ほど唄ってくれて、それもまた良くて大変いい気持ちになれた。

それにしても、10周年である。僕はこのポケメロというサービスがi-modeで始まった時期に、この会社と仲良くしていた。i-modeという新しい仕組み(課金も含め)が斬新で、また、ダウンロード型の着メロは、手打ちで作っていた時代には衝撃的かつ画期的な仕組みだった。「見てよ、これをリリースするねん」と今も仲良しのエクシング・曽根さんからその流れ出るメロディを聴いた時には「これはヒットする!」と確信した。思い起こせば最初は3和音だったので、今聴けば「ぷぷぷ」っと吹き出してしまうだろうが、その頃はもうスゴイの一言だった。

その、当時誰もが「当たる!」と思った予想は見事に当たり、サービスインから瞬く間に会員は100万人を突破した。当時は300円の利用料だったので、10人で月に3,000円、100人で3万円、1,000人で30万円、1万人で300万円である。これが、1日単位で1万人くらい増えた。

「現在会員は何人です」とシステムを通じて確認できるページがあって、それを見るたびに、曽根さんと僕は震えた。「仕組みを作ってお金を儲けるとはこういうことなのか!」と思った。なんだかひと月で3,000万円くらい稼げたのだから。

といっても、僕はその金銭的恩恵にあずかれる立場ではなく、せいぜい「一緒に寿司行こうか」程度であった。当時僕が何をしていたかと言うと、携帯電話からアイドルをデビューさせるというメディアミックス型モバイルゲーム「バトラクション」を仕込んでいた。ポケメロから数か月遅れてのサービスイン。吉本興業と関西テレビのバックアップをつけて自信満々でリリースしたのであるが、僕たちの方の「現在会員は何人です」とシステムを通じて確認できるページは、壊れているのではないかと思うくらい人数に変化はなかった。

こうして片や10周年ライブパーティをするポケメロと、サービスインから8年目でひっそりと幕をおろしたバトラクションは完全に勝ち組と負け組に分かれた。その間に、一緒に汗をかいて熱気を感じ合ったシステム会社は倒産の憂き目にあった。

10年あると、いろいろあるものである。

2009.12.6 1泊2日の研修会

土・日を利用して、京都で対人援助職の方を対象に行われている合宿研修会に参加した。JR福知山線の嵯峨野嵐山駅前にある「コミュニティ嵯峨野」が会場である。

参加していたのは60名ほどで、児童相談所の職員や、適応指導教室の指導員、スクールカウンセラーや小児科医など、職種も様々であった。印象に残ったのは、二日目のプログラムで行った「家族造形法」だ。このプログラム自体は、家族理解WSでも実践したことがあるし知っている。ただ、今回は自らが指名されて粘土になった。そしてその中で、思いのほか心が動かされて驚いた。

家族造形法とは、問題がある家族の関係性を実際に人を使って再現してみる検討の仕方で、書面では見えない関係性や距離感が立体的に見えることで、解決の糸口を探っていこうとするやり方である。今回は11歳の男の子について相談に来られたケースを再現した。

両親はともに離婚を一度づつ経験しており、それぞれに連れ子がある。問題が起こったとき、母の連れ子は16歳で父の連れ子(今回問題とされる児童)は11歳だ。再婚後二人には二人の子どもができ、それぞれ3歳と0歳。このケースについて、歴史を振り返りながら家族の関係性を形作っていった。

最初は父が前妻との別れを考えている場面から。それぞれの役割に指名された参加者が彫刻家(というのは今回のケースを知っているカウンセラー)に指示された通り身体を動かし、当時の家族関係を再現していく。

その後離婚した父は、当時4歳の子を連れていく。二年後、職場仲間でもあった女性と再婚する。この女性も離婚歴があり、再婚時、11歳の連れ子があった。この連れ子役が僕である。カウンセラーの指示どおりに、母親の横に座り、母の小指だけを握り母を見上げる。母は、再婚する義父ともう一方の手を握り見つめ合っている。

義父にも当時6歳になった連れ子がいるが、その子は義父の後ろで、ズボンを掴んで座っている。この時に11歳の僕はどう感じるかを体感し、参加者に伝えていく。そしてときは5年経過し、先に言ったように3歳と0歳の義弟・義妹ができ、11歳の義弟は問題行動を起こすように相談機関に来訪となる。そのとき僕は16歳。カウンセラーからは「あなたは好きなところに自分で決めて立っていいよ」と言われ、その子に思いを馳せながら、家族を俯瞰で眺められるが、それほど近くではないところに腕を組んで立った。

実際の16歳の少年がどんな気持ちで暮らしているかはわからない。けれど、新しくできている家族を穏やかに受けれ入れていることは決してないだろうと、僕は体験上感じた。義父が憎く、実母に憤りを感じ、疎外感に苛まれながら僕はその場に存在していた。

思い返すと、11歳で実母の小指を握りしめていた時が、分かれ道だったのだと思う。あのとき、少しでも実母が僕の方を向いてくれていれば、僕にきちんと状況説明をしてくれていたら、僕も義父とその連れ子を受け入れようと努力できていたかもしれない。しかし実際は「小指だけどつながっているし、この子はうちの子だから」という自己中心的な解釈で、僕の方を向いてくれることはなかった。確かに食事と住む場所は与えられたが、それは物質的な援助だけであった。そして僕は、家族を憎むようになった。

16歳になった僕は、周囲から褒められる生き方はできていない。それどころか、我が家族の不幸を心待ちにし、問題行動を起こす義弟を馬鹿にしながらも、「おまえもこんなしょうもない家出てしまえ!」と心の中で叫んでいる。

ただもし、そんな状況下であったとしても、突然母親が死んでしまったら、それは物凄い悲しいだろうと思った。結局実母には僕の気持をわかってもらえなかった。そしてそれはもはや「取り返しがつかない」ことで「永遠の後悔」になる。

というような、これはあくまで演習ではあるのだけれど、そんな色々なことを思える家族造形法だった。そして僕は「取り返しがつかない」という事柄が何かを少し知った気がした。

2009.12.2 一行18文字の理由

朝からJR東日本企画の星さんを訪ねた。

星さんはJR東日本のトレインチャンネルの担当で、そのコンテンツの提案に伺ったわけである。トレインチャンネルというのは、乗降扉の上部に設置されたもので、もともとは路線情報や遅延情報、次の駅の情報などを表示し、乗客の利便性を上げるためのものである。

ところが扉の上にふたつ設計したので「一個広告媒体にしたらどうだ?」と声がかかり、今やデジタルサイネージ広告の数少ない成功事例になっている。

「基本的にコンテンツひとつは1分になっています」という話を聞いて、山手線の駅間走行時間との兼ね合いを思った。「中央線なんかは2分のコンテンツもいけるんですけどね」ということらしい。

そういえば僕も昔、まだアルバイト情報誌anの編集をしていたとき、阪急電車や近鉄電車の一駅間乗車平均時間を調べた。アルバイト情報誌の記事など、家でじっくり読む人は少ない。ほとんどの人は電車の中で読んでいる。そうであれば、ひとつのコラムを読み終わるのに5駅も6駅もかかるようでは「読む気がしない」。そう考えて、3駅間で読み終わる長さにこだわった。

段組みについても、人はある程度読めていく感じもほしいので、1行18字詰めがよいだろうと結論づけた。これは糸井重里さんの「ほぼ日」も同じルールを採用している。トータル文字数を割り出して、その文字量を、効果的に配置し、さも「すぐ読める」「楽しく読める範囲」だと読者が思うようなデザインに仕上げていく。

そうして作ったコンテンツは、実際はどうだか知らないが、ストレスなく読むことができると思っていた。 今思うと、あのときは本当に毎日が編集者だったなあと思う。

そのくらい徹底的に編集者な人を、最近はとんと見かけない。誠に残念なことだ。

2009.12.1 「幼稚園とは何か」

夜にリンドウアソシエイツの若き社長となった中島亜紗美ちゃんと会食をした。テーマは主にいい幼稚園とは何かという話。

仕事のひとつのフィールドとしている幼稚園も11月1日に(関東圏)園児募集が解禁され、募集における勝ち組と負け組がはっきり見えてきている。その勝ち組と呼ばれる園の秘訣を考える中で、ひとつに「園長のプレゼン力」はあるなあと思う。やはり入園説明会や見学会で自園の方針をきちんと語れる幼稚園は、募集も比較的堅調であるし、何より入園後に保護者とトラブルになる確率が低い。

もっともプレゼン力と実際の保育の質とは必ずしも一致しないところもあり、亜紗美ちゃんは「現場の保育にこそ見るべきポイントがある」と強く言う。たとえば、園見学に来た際に「○○先生の子どもへのあの声掛けがよかったのでぜひここにと決めました」といったようなケース。これらの見どころをきちんと押さえるべきだというのだ。

ただ、今の子どもを取り巻く環境や時代背景をみると、なかなかそういうポイントで見ることができる保護者が減っているのも事実。その見方ができるのは、ある程度の知識と感じる力が必要になるからだ。

保育士出身の園長先生、現場に自ら飛び込むタイプの園長先生の園がここ最近、特に募集に苦しんでいる。一方では保育園の待機児童が首都圏では増える一方で、設置基準の規制緩和が進んでいる。今ほど「幼稚園とは何か」が問われていることは、過去にないと思う。

2009.11.28 二日続けての神事

義理の父の四十九日法要で鎌倉霊園に行き、納骨を行った。「そうか、もう二か月か…」などと思いながら、 連れて行った息子のつなぐ(2歳)は、隣の金谷さんの墓前に幾度もお参りをしていた。

昨日は三河安城につくる「暮らしのお店」の地鎮祭だった。なので、二日連続で、神事に参加したことになる。地鎮祭というのは、ほとんど出たことがない(過去に自分の実家が僕が中学生のときに出たのみ。いや、それもクラブを理由に出席しなかったか?)。

なので勝手はよくわからないが、今回は坪数もある程度大きなものなので、銀行の支店長から各テナントで入るお店のオーナーまで、20数名が集まって比較的大きなもののようだった。

氏神さまが神事をひとつづつ、こなしていく。結構な数の儀式が続く。途中で、ライスシャワーのように、紙吹雪を持ってそれを土地のいたるところに、自身もやや舞い踊りながら撒く、というものがあって、傍から見ると「一体何をしているのか」という光景なのだろうなあと思いながら、頭を垂れていた。

しかしどうにも気になったのは、その氏神さまが、やたらと僕の落語の師匠である古今亭駿駿菊さんに似ているということである。そのため僕の頭は必要以上に儀式の間、垂れていたのであった。

2009.11.16 木陰の物語3いよいよリリース

いよいよホンブロックから、待望の「家族の練習問題3」が発売される。たぶん、世の中の誰よりも発行人である僕がこのことを「待望」していると思うけれど、それでも少なからずこの本の続巻を待ち望んでいる人もいると信じている。

いよいよ三冊目。ここでブレイクするのか、それともブレイクは先送りになるのか。それでも今回は、直販だけの体制で初版配本1,000冊を達成できそうな勢いである。 これははっきり言ってスゴイことである。

もちろん大手取次というところを通すと、いろんな制約がありながらもある程度の数は捲けるだろうと思う。けれどそれに与さない我々としては、何と言ってもまず「捲く」のが大変なのだ。書店からすると、個別清算個別仕分けの面倒が増えるし、よほどコンテンツに力がないと、忙しい中協力もしてもらえない。

こういうときに色々とアドバイスをもらっているのが、友人のミシマ社の三島くんである。その三島くん曰く「200店舗のネットワークを自社で築ければ、直販体制でも年に6冊(いい本をね)出せれば経営は成り立つ」という。非常に明快な指針である。なので、僕もそれを目指そうと、今回は前回と違った動き方で営業に回った。結果は200店舗は行かないけれど、それでも80店舗っほどは行けそうな勢いであって、前回が30数店舗だったことを考えると躍進である。

1月には京都の大垣書店さんとタッグを組んで著者講演会も行う。 そこでは、誰が欲しいかはわからないけれど著者サイン会も行うのだ。でも、こういうマニアなサインを欲しい人がいることも実は経験済みで、以前「2」を発売したときに、直販会場で僕のサインを同書にもらいに来た人がいた。僕はその人に「これは私の著作ではないんですよー」とはっきり説明したのであるが、「それでもいいんです」という「なぜいいのか」の説明を省略した返しをされて、僕も本を買ってくれた人だからむげにも断れず、なぜか「団遊」と漢字で奥付近辺にサインしたことがある。この人など、相当なサインマニアと思われる。

そんなマニア向けの講演会なのに、会場は270人も入るところを押さえてしまったので、1月17日@京都キャンパスプラザの講演会、縁のある人はフル出席にてお願いします。

2009.11.14 10円本屋さん本日開店

おやこんぼプログラムのひとつである10円本屋さんを、沼津原町幼稚園のバザー会場の一角で開催した。10円本屋さんとは、絵本の循環を促すプログラムで、最近何やら「絵本を持てない」(のか持たさないのか)子どもたちが増えてきているという幼稚園の先生の話も受けて、それならば不要になった絵本を集めて、子どもたちに思い切り絵本に浸る時間を提供しようではないか、と試みているおせっかいプログラムである。

絵本は小学校を中心に回収をしていて、回収に協力してくれた皆さんには御礼として、物品スポンサーをしてくれているカンロさんから提供された飴などのお菓子セットを差し上げる。この間は東京文化小学校さんの36名の在校生から300冊ほどの絵本が届いた。月曜日には、試みの説明と協力依頼に文教大学付属小学校に行くことになっている。

さてその10円本屋さん、回収の成果ともいえる開催は今回が初であって、なかなか課題も多く見えた。そのひとつは、親の参入である。 園にも協力してもらって、本屋さんの中には親は入れません、と告知してはいたのだけれど、なかなかその徹底は難しく、結局古本屋と変わらぬ有様になってしまった。

絵本は1冊しか買えないので、本当は1冊の絵本を悩んで悩んで、悩んだから両方読んでから選ぼう、みたいな子どもがいて、その子のために、教室の中の一番いい場所を「よむところ」スペースにしたのだけれど、何せバザーの1コーナーでもあるので、バザーは「たくさん回って楽しむ」という特性がある以上、ここだけに居続けるわけにもいかず、あわただしいことであった。 「よむところ」にも、もっと工夫が必要だと思った。

この手のプログラムではどこでも見かけるけれども、この日もまた、子どもが選んだ1冊に「こっちがええやないの、こっちにし」と口をはさむ親の多かったこと。その一言に何の意味があるのか僕にはさっぱり分からないけれど、何か思うところがあるのであろう。そしてそれは見ていると大概「こっちの方が本がキレイ」とか「これ荒井良二さんだから」とか、まったくもって大人の価値観の押しつけでしかないことにどうして気がつかないのか不思議である。わずか10円の買い物くらい、「9月の不思議」(という9月だけを取り上げたなんともいえない絵本があった)でもいいじゃないかと思うのだが、そうもいかないようだ。

「この本持ってるやないの!」という声も数多く聞かれた。これもまた不思議なもので、子どもは「持っているかどうか」は「読んでくれているかどうか」で判断するということにその場を見ても気がつかない。もちろんそればかりではなく、単純に忘れているだけということもあるだろうが、もう少し気が回る親なら「そんなに読んでやっていないのかなあ…」と思えるのもまた知恵だと思うのだが、相も変わらず「それ持ってる」「それ持ってる」のオンパレードであった。

とまあ、何はともあれ、たくさんの人が、大人も子供も「絵本を物色する」という行為を楽しんでくれていたので、沼津までいそいそ出かけた甲斐もあったというものだ。次は「絵本に浸る」時間をしっかり作れるようにプログラムに変更を加えたいと思う。

2009.11.6 飲み会は終電で帰ります。

昨晩はどこかのタイミングで私のもとで仕事をしてくれていたメンバーたちと久々に飲むことになった。西井と豊好はフィーメール時代の後輩で、平山はアソブロの後輩、そして今現役中の高岡と。それぞれ西井はアシェット婦人画報社に、豊好はぴあに、平山は日経BP社に今はいる。

彼らの共通点は「危機感があり、どうなるかわからないことに一生懸命がんばれた」ことだった。その感覚に僕自身もとても共鳴できるところがあり、何かとおせっかいを焼いていた。

話が世代間ギャップの方向に向き、まだ30歳に満たない彼らでさえ、今から卒業してくる学生たちとは仕事への向き合い方が何かが違うと感じているそうで、それは一体何かと、みなでわいわい考えた。ここからは、そこで出た話であるが、WLB(ワークライフバランス)という言葉が広まるようになって、自分らしさが大事だとされるようになって、それらが蔓延した象徴が「飲み会は終電で帰る」という行動特性ではないかと思う。

少なくとも、それが良いか悪いかは別として、僕は学生時代に飲み会を終電で帰るのは避けていた。それは、帰った後に何か面白いことが起こったら残念だし、いわんや途中で寝てしまったとなると、後日聞かされるあれやこれやを、まことに忸怩たる思いで聞くしかない。 そういう「せっかく共有できた嬉しい体験」を放棄することが、つまりは終電で帰る、ということだと思っていた。もちろん、実際は早く帰ったやつより少し多くのお金を払って、ただ眠さに耐えて朝を迎え、虚脱感とともに帰途に就く、というのが大半であるが、それはそれで良かった。

ところがメディアを含めた我々大人層が「何かまだ見えないけれどそれに対する努力は思いもよらない結果をもたらして私たちを喜ばせてくれる」とある時から思えなくなった。その結果、勉強にも結果の担保が求められ、仕事にも結果が求められ、すべてに因果関係があるものだと流布するようになった。

こうなると、朝まで飲み会に参加することの意義は主張できない反面で「終電で帰って眠る方が健康的である」という主張が力を持ち始めた。これは、ある意味「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と同じことで、いつの間にか朝まで飲む学生が少数派になったのであろう。

そんな暮らしをしていて、突如社会人になっても、まだ見えない未来に向かって遮二無二がんばれる根拠がないのである。そのような時間が後年何かを自分にもたらしてくれる、という体験がないのだから、それもわからなくはないのである。

その結果、終電で飲み会を帰るのと同じように、7時に仕事は終えて、WLBの充実に新人社員はつとめるのである。一方で新人社員は「そのような営みの継続の先に大企業の社長の椅子はない」ことも知っている。これもまた、大企業の社長の椅子がいいかどうかは別として、将来自分たちを傷つけないために、「そのようなことには価値がない」という風に自己防衛のために世論を作ろうとする。その結果はメディアを通じて、よく最近の学生の嗜好性として流布されている。

豊好が“「頑張る」という言葉がもういけてないんすよ”と突如言いだして「いけるとこまでいきたい」という風に変えればいいんですよ、と言っていた。最近の若い子から僕が実際によく聞くセリフとして「どうしてそんなに頑張れるんですか?」というものがある。この質問に解答するのは確かに面倒くさいなあと思いながら聞いていた。

平山は日経BP社で本と漫画の担当をしているが、その会話の中で「週刊誌が軒並み部数を落とす中、一誌だけ伸びているのがジャンプなんです。 ジャンプのコンセプトは、“友情・努力・勝利”です」と言っていた。

2009.11.2 学生の本分は学業である。ある?

講義のレポートがあがってきたのでそれを見ていると、とても興味深いことがあった。今回のレポートは留学生から上がってきたもので、ライフラインチャートと自分での見立て、ということを課題にした。ライフラインチャートは小学校時代から大学のこれまで自分年表を作り、そこに気分のチャートを書き加えていく。日本の学生とやると、彼女ができて超ハッピーとか、文化祭が楽しかったとか、バイトが楽しいとかそういうものがあがる。ところが留学生の場合は、学業の状況が気分にきわめて近いところにあるということが読み取れた。

国や大学の経済的支援を受けている学生なので、学業は相当できる。5ヶ国語しゃべれます、とかもまあ普通にいる状況である。 その彼らがレポートに書いたことを見ると「学業について順調なときは心に余裕が生まれ、いろんなことに興味の範囲も広がるし気分がいい。しかし学業の状況が厳しいときは、自分を認めてもらうために、まずはそのことについて巻き返さないといけないので、不安と闘いながら学び続けることになる」というのだ。

この感覚は、日本の学生には皆無だなあと思った。確かに僕も会社の経済状況に余裕があるときとないときで心の持ちようが多少違う。それは一般の社会人でも、仕事の状況と気分の持ち方というのは非常に近いところにあるものだと思う。そう考えると、学生は学業が本分だと考えると、そういう気持ちになるのはひどく真っ当なことにも思えてくる。彼らの意見が国際的な見地だとはとても思わないけれど、それでも、そういう風に学生の時期を過ごしている人がいるのだということは新たな発見であった。

レポートに記入する項目のひとつに「これまでに体験した困難、およびそれは何故だと振り返るか」というものがあった。そこにひとりの学生は「西洋宗教、東洋宗教、日本近代文学を同時に勉強した時期に“人生とは何か”について行き詰まり、精神的バランスを保つことが厳しい試練に遭いました」と書いた学生がいた。 その困難自体がどうとは思わないけれど、こんな解答にはなかなか出会えないという意味で、これも興味深かった。この困難も学業に起因している。

2009.10.31 年に一度の社員会。

年に一度の決算社員会が行われた。13時から18時までみっちりと。この会議では、前期を数字的に振り返ることから始めて、プロデューサー各位の今期方針の発表、ディレクター・アシスタントディレクターの今期の抱負発表まで、いろんな人が、色々としゃべる。

この会で毎年全員で共有しているのは「一致団結しない」という不変の方針についてである。アソブロックというのは、全員で何かに向かっていく組織ではなく、自由にルールのない中で、それぞれがやりたいことをやっていて、それを会社がサポートしている、というスタイルをとっている。そのことを象徴的にキャッチフレーズにしたのが「一致団結しない」であり「選択も集中もしない」なのだ。ともすると、このことを忘れがちになってしまうので、年に一度確認することは重要なのであった。

その後は毎年恒例の会食へ。今年は道場六三郎さんのろくさん亭に行った。銀座、といっても新橋が最寄駅だけれど、雑居ビルの6階にあるろくさん亭は、赤坂にあるお店と違って内装も古く、ビルも古く、窓はなく、なんとなく陰気である。けれど、ここから始めたんだ!という気概でこの場所を大切に残しているところが良くって、なんとなく、社員会の後に行くにはふさわしいお店であった。

2009.10.29 ハリウッド映画から芸者が消えた。

立命館の教員である中津川くんが東京出張のついでに事務所に遊びに来て、夕食を摂りながら来年のキャリア授業の内容についてブレストした。まだ確定ではないものの、三年次への授業に加えて、一年次生に向けた講義も持ってはどうかと言われ、どうしようかなあとあれこれ話す。

中津川くんは孔子学院の担当もしている。孔子学院というのは、中国の文化や語学を広げるために世界中で開講されている講座のことで、各国の大学と提携をしている。日本で言う国際交流基金であり、イギリスでいうブリティッシュカウンシルなのだが、その予算規模が中国は桁が違う。経済的な発展をさらに望むには、文化を受け入れてもらわないと続かない、という判断によるものだろうと思うが、一方でWINDOWS7のコピー版を発売日に同時リリースして普通に小売店に並んでいるのも、また中国である。

その話の中で、そういえば最近のハリウッド映画では、アジアを画として出す時には日本人ではなく中国人や韓国人を出すようになった、という話になった。ハリウッド映画を基準にするのも時代遅れの感は否めないけれど、確かに富士山・芸者・日本刀を出せば「アジアなのだ」と伝わっていた時代は終わったということだろうと思った。

2009.10.27 暮らしのお店、いよいよ

三河安城で暮らしのお店の、もう何十回目かになる打ち合わせ。いよいよ建物自体の構想も固まって、実際に建てるにあたり、確認申請をする段階までやってきた。地鎮祭が、11月27日に行われる。思えば誘われてプロジェクトに参画したのが2007年末。今は2009年の10月。オープンは2010年の4月下旬。その間に建築家が二人変わり、グラフィックを担当しているセキユリヲはスウェーデンへと移り住んだ。

9時半からの会議に先立って、このお店に出店をするレストランの店長になるために愛媛から移り住んでくる長江くんとうちのデザイナーの辻と3人で名古屋・スタンダード・モーニングを食べに行った。名古屋のモーニングはコーヒー代でもれなくパンとサラダとトーストがついてくる。レストランとして朝時間も営業をするかどうかの見極めに一度見ておきたいということで行った。そして、あっという間に朝は「やらない」ということに決めた。ひとつひとつが美味しいわけではないが、380円でこられを出して、採算は合うのだろうか、という疑問はぬぐえない。後で聞くと「僕がいつも通うところは、150円足すと(530円)稲荷ずしとうどんとぜんざいも付くんですよ」という店もあるらしい。朝からパンと稲荷ずしとうどんとぜんざいにサラダとゆで卵である。

安城の会議の後は豊橋に移動。明日、豊橋に本店を構える精文館書店という本屋さんと打ち合わせが朝からあるので、今日は豊橋泊だ。駅の近くに最近できた「アークリッシュホテル」がいいと聞いたので、そこに泊まった。15階がクラブフロアになっていて、なかなかいい感じのフリースペースになっている。話題の幅なんとかさんと言う人がセレクトを手掛けた本棚があった。タイトルの並べ方が洒落ている。

そういえば豊橋に移動するJRの中で、乗ったのは普通の快速だったのだけれど、床にごきぶりホイホイが置いてあった。あれは忘れものなのか、それとも名古屋では電車の中にごきぶりホイホイを置く文化があるのか。よくわからないが、とにかく奇妙であった。

2009.9.25 35回目の誕生日

ふと気付くと35回目の誕生日である。この歳になると誰に祝われるというわけでもないけれど、振り返ると自分が24,5歳の頃、10年後こうなっているとは露とも思わなかった。当時は10年後のことなど考える余地もなく、ただひたすらに入稿をしていた気がする。10年が経ち、今は少しは先のことを考えながら仕事ができるようになった。これは大きな進歩であろう。ただ、やはり10年後に振り返った時に、同じように「まさかこんなことになっているとは思ってもいなかった」と言えるようなこれからを過ごしたい。未来を見据え、そこに向かって突き進むというのは、どうも性に合わない。

2009.9.18 グルシャンのホームパーティー

サルビア工房の上原と、福音館に勤める中村さんと三人で、グルシャンのホームパーティーに行った。グルシャンというのは、ウズベキスタンに旅行に行った時のガイドである。その彼女が、同じく旅行でガイドをした日本人と恋に落ち、めでたく結婚し、日本に住むことになったということで、お披露目であった。
旦那さんは年がグルシャンの倍ほどの方で、森本さんと言った。その森本さん。結婚を目指して、まずは外堀を埋めるべくウズベキスタンに渡りグルシャンの親戚たちと仲良くなった。その後、グルシャンの両親が働くロシアに行って、挨拶をし、苦渋の表情を浮かべる両親を説得し、今日に至ったそうだ。国際結婚となると、なかなかハードルも多く、その情報は同じくウズベキスタンの奥さんと日本人の旦那さん、というカップルである田中さんご夫妻から得たらしく、そのような国際結婚ネットワークがあるようであった。二人で新婚旅行にどこに行くかとなったときに、ウズベク人は簡単に海外に旅行には行けないらしく、特別なビザがいらないトルコになったそうだ。そんないちいちの話が、興味深い。

2009.9.17 編集長すら手をつけない聖域

僕が日本で五指に入ると思っているライターに梅原光彦さんがいる。京都の桂という微妙な位置に住んでいながら、東京からも大阪からも、依頼が引ききらない売れっ子である。そんな梅原さんと初めて会ったのは、僕がまだアルバイト情報誌『an』の新前編集者として仕事を始めた頃だった。当時『an』には梅原さんが何年も続けている名物コラムがあった。例えるなら週刊文春の風まかせ赤マント(by椎名誠)みたいなものである。その担当に、僕がなることになったのだ。そして、当時はライターとしても大分仕事をしていた僕は、その原稿の緻密さと上手さに「商売ライターとして食べていくのは無理だ」と白旗を上げたのであった。と、そんなに梅原さんのことを持ち上げる僕であるが、実はその連載の打ち切りを決めたのも、僕であった。編集長すら手をつけない聖域に踏み込んだ僕。そのことを、実は梅原さんは長く根に持っていて、なんと、当時の連載をわざわざブログを立ち上げて再開したという連絡を受けた。京都人らしい嫌味の演出である。そして、時は過ぎ、いよいよそのブログの転載連載も300回を超え、最終回となった。その最終回の最終回を、当時の編集者の僕のコラムで締めるということをしたので、良かったらどうぞ。

梅an先生  http://baiansensei.cocolog-nifty.com/blog/